| 高校ラグビー部のOBの方必見のコーナーです。 全国大会へ向けてOBも一丸となって応援しましょう。 |
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| 花園出場回数 60回 (出場年度) 昭和2.4.5.7.9〜12.1626〜28.30〜47 49〜59.61〜平成6810〜14.16〜19 (成績) 優勝…6回 準優勝…7回 ベスト4…6回 ベスト8…8回 |
選抜出場回数 2回 (出場年度) 平成16.19 (成績) 優勝…1回 ベスト8…1回 |
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| ★大正14年1925)創部。部草創期に、ラグビーの理想を謳う部歌やラグビー精神の基本となるラグビー十訓が作られた。 創部10年目となる昭和11年(1936)1月7日に第18回全国中等学校大会にて初優勝。 二代真柱「臥薪十年」と揮毫、現在天理高等学校の講堂に掲げられている。戦争中一時活動を中断、昭和22年に復活。 昭和30年3月、第6回近畿高等学校大会にて初優勝。 以後優勝8回、準優勝5回を数える。 昭和31年、洛北高校との定期戦が始まる。 洛北高校ラグビー部創設者香山蕃日本ラグビー協会長と親しい二代真柱は、この定期戦を喜び、翌年「KAYAMA−NAKAYAMA TROPHY」と浮き文字にした銅製のトロフィーを寄贈。勝者にこれを贈ることになった。 またこの年、オーストラリア学生選抜が来訪、ウォルシュ監督の指導を受け、これを記念しウォルシュ牌を創設。 昭和37年10月に岡山国体に単独で挑み初優勝。 昭和38年1月7日、第42回全国高等学校大会で27年振りの優勝を達成。 戦後の黄金期の幕開けとなる。この年は、近畿大会、国体と制覇し、練習試合を含め30戦全勝、マスコミから超A級と評価される程の圧倒的な実力を誇っていた。 卒業後、関西・関東の大学で主将として活躍した選手も多い。 昭和40年の第44回大会、昭和41年の45回大会と2年連続準優勝。翌42年の第46回大会で3回目の優勝を遂げる。 同年10月には芝生のラグビー場(天理高グランド)開きでオーストラリアの名門クラブチーム「イースタンサバーブス」と全天理が対戦。二代真柱が始球式をする。 44年から46年にかけては、3位・準優勝・優勝と順に階段を昇り黄金期を維持した。昭和51年、創部50周年を迎え、記念式典・招待試合・韓国遠征を行う。 その後、昭和59年の第63回大会と平成2年(1990)の第69回大会に優勝。 平成12年、創部75周年を記念しオーストラリアに遠征。 この時、昭和42年に全天理が対戦したイースタンサバーブスのジュニアチームと対戦。30年ぶりの友好を深めた。平成16年4月には、第5回全国選抜大会に初出場し優勝。 同じ年度の第82回全国高校大会では惜しくも準優勝であった。 また平成19年全国選抜大会に2回目の出場でベスト8に入った。 天理高ラグビー部は全国選手権大会、いわゆる冬の花園では出場60回のうち優勝6回、準優勝7回、3位6回、ベスト8が8回と、創部80周年の越えた現在も「純白のジャージ」はグランドを駆け回っている。 |
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| 部 歌 | |||
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| 大正14年度創部時 | |||
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| ラグビー十訓 | |||
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| 昭和10年度臥薪十年初優勝 | |||
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| 昭和31年度ウォルシュ杯創設 | |||
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| 昭和37年度27年ぶりの全国制覇決勝戦対北見北斗 | |||
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| 昭和41年度3回目の全国制覇決勝対京王戦 | |||
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| 昭和46年度4回目の全国制覇 | |||
















